こんにちは。tomokoです。
私は18年前、大きな交通事故をきっかけに、左脳と右脳を開頭する大きな手術を経験しました。
開頭手術後の麻痺との戦い、車椅子生活、自分の身体を自由に動かせないもどかしさ。
そこから学んだ『健康』の意味。
元気で居続けるために必要なこと、次世代の子どもたちを守るために伝えなければならない大切なこと。
それをこのブログの中に記していこうと思います。
事故に遭う前の自分と事故後の自分
それまでの私は仕事一筋で、健康というキーワードを真剣に見つめることもなく、忙しい日々を送っていました。
そんな中での事故は、青天の霹靂としか言いようのない出来事でした。
MRIの検査の結果、脳内の動脈瘤の数と大きさの関係もあり、なかなか手術してくれる病院が決まらず、都内を中心に大学病院を巡る日々となりました。
当時は、いつ破裂するかわからない動脈瘤を抱えた死の恐怖でした。怖さで眠れない日が続きました。
「三女はまだ高校生、成人式までは生きていたい。」
「営業から事務仕事まで一人で回してきた創業10年の自分の会社は、私が死んだらどうなるのか。」
頭の中をグルグルとただただ死ぬことへの恐怖の概念が渦巻いていました。
手術後、初めて経験した想像もしなかった絶望感
まずは動脈瘤の数が少なかった左脳からの手術では、目に麻痺が出ましたが、想定内の状況で、言葉も危うげながらも話せましたし、首から下の麻痺もそれほど大きなものではありませんでした。
しかし2度目の右脳の手術が終わり、集中治療室から一般病棟に戻った日、看護師さんが「リハビリの先生がこの後来ますから、置いておきますね」と、麻痺で手も動かせない私の前に鏡を置いてくれました。
そこには49年生きてきた自分ではない姿の私が映っていました。
腫れ上がった目、おでこ、口元。
「この人誰?」
と思った時の自分の気持ちを良く覚えています。
そして全く口も開きませんでした。
集中治療室の時期、また一般病棟に戻ってからの記憶は今はほとんど思い出せませんが、この時の鏡に映った瞬間の記憶だけは、はっきりと今でも残っています。
「もう人前には出られない」
手術後の私が最初に感じたことはそれでした。
それは紛れもなく『絶望』でした。
そこから私の人生の第二のステージが始まりました。
次回に続きます。
1回目のスタートブログ、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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